イヤモニの話 その2

耳穴型補聴器のカスタムシェルは1985年頃からやってましたので、これをダイナミック型に適用。製品のプラスチック製カバーと一体化したシェルを製作し、ハウリングマージンを確保するとともに、装用安定性を高めるというカスタマイズをやっておりました。これが須山イヤモニのお初でしょうか。

その後歯科技工士の資格を取ったものの、担当は補聴器のまま固定となってましたが、1999年に予期せぬ経緯から銀座にビルをと言うことに。詳細は以下URLをご参照下さい。http://journal.mycom.co.jp/series/interview/063/index.html

新橋演舞場に2分、歌舞伎座に3分という好立地で、「よしっ!これはTE-ST56Bが売れるっ!」3月にビル購入、5月店舗スタートで、ソニーの担当者(外松さーん!ご無沙汰しておりますー!)と打ち合わせていたら、4月に突然ソニーから「補聴器分野から撤退します」の一報がっ(ガーンマジ)。

正直、綿密なプランがあって始めた銀座店でもなく、独立店舗としては初めてで場所柄勝手もまるでわからないぞ、と。スタート時はとーちゃん、かーちゃん、にーちゃん程度のスタッフで、年中無休という無謀な営業体制を取っておりましたが、当然と言えば当然ながら「お客がこねーっ!!」

有楽町にあったソニーショップの店舗終了に伴う引き継ぎで、こちらのアフターサポートと新規購入という幸運があったものの、営業中時間だけはたっぷり。補聴器の自社製作を行うため、銀座店でも医療用具製造業(当時)を取っていたので、機材も材料を完備して、急ぎのお客様の製作/修理を行う日々。